10年前の3月11日の私

思うこと

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こんにちは。コトリス関根です。

Facebookを開くと、毎日出てくる「過去の思い出」

3月11日の今日も過去の投稿が出てきました。

 

下記コピペ

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あれからもう8年も経つのですね。
2011年3月11日、
私は会社から一人「建材展」に行って東京ビッグサイトにいました。
「地震だ!」と誰かの声がして、慌てて地下から地上に出てみると、遠くで黒煙が上がっていました。
直感で帰れなくなると思い、急いで国際展示場駅に向かいましたが、規制されて駅構内にも入れませんでした。

 

冷たい雨の中、たくさんの人が外に溢れ、会社とも家族とも連絡が取れなくなったのです。
バッテリーの充電がなくなるのが不安でワンゼグも見なかったから、津波のことも知らないまま途方にくれていました。

近くのワシントンホテルがロビーを解放してくれることになり、寒さ凌ぎにロビーに入ると出入り口や廊下の至る所で地べたに座っている人が溢れていました。
新聞紙を敷いて座った私の隣にスカート姿で佇む若い女性。
「これあげるからここに座れば」と余分に持っていた新聞紙を差し出しながら声をかけ、お互いやっと話ができる同士を得ました。

トイレも買い出しも行きたいけれど、その場を立ってしまうと座る場所もなくなってしまう心配がありました。

それほど、帰宅難民が溢れていたのです。


二人で交互にトイレを済ませ、やっと手に入れたカップラーメン1つ。
お湯をもらいにホテルのロビーに行ってみると、

「二階の宴会場が解放されてるから行ってみれば」と見知らぬおじさんに教えられ、

二階に行ってみると、大きなテレビに映し出された津波の映像(OvO)
たぶんその時、夜の8時くらい。
「日本が大変なことになっている!」

私の目に飛び込んできたその光景は衝撃的でした。

 

今夜はここで明かすのかな〜?と思い始めた時、主人からの電話が鳴りました。
「今から迎えに行く!」
通常なら車で1時間くらいのところ、迎えが到着したのは夜中の12時。
5時間もかかって迎えに来てくれた主人と息子の顔を見て安堵。

その時、一緒にいた若い女性を置いて帰ることは私にはできませんでした。
私がいなくなったらこの子はまた一人になってしまう。
「一緒に行こう!」
その女性を連れて家に着いたのは朝方の5時半。

お風呂に入って仮眠をとってから、彼女は自宅へ帰って行きました。

その時はまだ電車が動いていたのが救いでした。

埼玉の蕨市だったから相当遠かったと思います。
その後、無事に着いたと連絡がありホッと一息つくと、どっと疲れが出てきました。

うつらうつらしていると、息子の声。
「お母、寝てる場合じゃないぞ!日本が大変なことになってる!」

福島原発が爆発した瞬間でした。。。

 

ああ、昨日のことのように覚えてるあの日の出来事。
あの時、不思議だったのは誰とも連絡取れなかったのにオーストラリアからの娘の電話だけは繋がったこと。
そして、会社に私の無事を知らせてくれたのは、アメブロのコメントを見た友人だったこと。
SNSは災害時の連絡手段になることを痛感した日。

もう二度とあんな悲劇は起きないでほしいと願う。
だけど、いつまた起こっても慌てないように準備だけはしておこう。
被災された多くの尊い命に黙祷を捧げます。

 

震災から1年後、

あの一緒に帰宅難民になった女性から結婚したと年賀状が届きました。
生きてるからこその幸せ♡

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーここまで

 

年月と共に薄れゆく記憶。

あの日あの時体験したことを忘れてはいけないと思う。

備忘録の意味も込めてここに記載しておきます。

 

 

投稿者プロフィール

cotolis
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自分らしく輝く女性を応援するコトリス代表 関根貴代美です。
イベント企画運営、起業コンサル、セミナー講師をしています。
コトリスでは、笑顔になって生き生きと輝く女性を応援していきます。

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