母の死に思うこと

思うこと

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こんにちは。コトリス関根です。

今日は朝から雨。

ウォーキングも今日はお休み。

連休中もお天気は悪そうですね。

緊急事態宣言と重なって、どうやらステイホームのGWとなりそうです。

私も約束していた銀座の予定2件飛びましたー(泣)

残ったアウトドアの予定は行けるといいな〜

蠍座満月の4月27日、母の葬儀が終わりました。83歳でした。

コロナ禍で身内だけの1日葬。

都内近郊では約90%がこの族葬らしい。

10年以上も施設にいて、今と過去の間でどちらにいるのかさえも、

私のこともわからなくなっていた母。

もう何年もまともに話していなかったし、昔から決して仲のいい母娘関係では

なかったから母の死を知らされた時も何も感情が出てこなかった。

ただ、人の死ってこんなに呆気ないんだなと思っただけ。。。

誤嚥性肺炎で食べられなくなり、頬がこけ、別人のようになった棺の中の母を

実感のないまま見つめた。(こんな顔だったっけ?)

遺影を持って霊柩車に乗るのが私の役目だった。(遺影の顔も母らしくない)

せめて最期は華やかにと顔の周りに明るい色の花を供えて送り出した。

喪主の弟とその家族、私の家族と叔母と叔父の10人。

なかなか顔をそろえることはない親戚だけれど、母が最期にみんなを集めてくれた。

簡単な告別式と火葬、簡単な食事だけだったけど、終わった後はぐったりだった。

ここ数日、気力もなく体も重くぼーっとしてしまう日が続いていて、

こんなことは久しぶりで(滅多にないかも)自分でも何故なのかわからなかった。

とにかくダルいし眠い。

気力が沸かない。

気持ちが落ちている。

だから文章も書けない。

義妹からは、母の戒名をつけてもらうのに母の人柄を送って欲しいと

催促がきてるけど、書けない。書けないんだよー!泣

母はどんな人だったのか?

いつも遠い存在だった。

厳しい人だった。

強い人だった。

そんな印象しか出てこない。

・・・。

昔、家の中で放飼いにしていたチーちゃんという青いセキセイインコが私の肩で、

「チーちゃん」と言った。

この子「チーちゃん」って言ったよ。

「そんなことあるわけないでしょ!?」と、初め否定していた母は、

本当だと知るとそれから毎日、チーちゃんに言葉を教えた。

毎日、毎日。

根気強くチーちゃんに言葉を教え、普通のセキセイインコだったチーちゃんは、

自分の名前住所電話番まで言えるスーパーセキセイインコになった。

「どの生地がいい?」

布地屋さんに連れていかれ、私が選んだ花柄のビロードの生地で可愛いワンピース

を作ってくれた。

ジャケットも浴衣もセーターも希望を言えばなんでも手作りしてくれた。

私の体にピッタリのオンリーワン!

学校に着ていくと、みんなから羨ましがられた。

小学校の家庭科の裁縫の宿題がうまくできなくて、泣いていたら母が綺麗に仕上

げてくれた。

おかげで私は裁縫ができない。

学校が午前中で終わる半ドンの土曜日、走って家に帰り玄関のドアを開けると、

ふわっと温かいホットケーキの匂いがした。

母が家にいてくれることが嬉しかった。

ああ、こうやって少しずつ思い出していくと、母親の存在ってかなり大きい。

香りとか温度とか、その時交わした会話とか、感情・・

そうか。

この世でたった一人の母親が亡くなったんだ。

頭ではわかっているけれど、心が追いついてないのだ。

日が経つに連れジワジワと事実が突きつけられる。

もっと会いに行けばよかったな。

元気な時にもっと優しくしてあげればよかったな。

母と娘でもっと語り合いたかったな。

一緒に旅行行ったり、買い物行ったり、母の喜ぶこともっと知っていたかったな。

意識のしっかりしている時にちゃんと「ありがとう」を伝えておきたかったな。

投稿者プロフィール

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自分らしく輝く女性を応援するコトリス代表 関根貴代美です。
イベント企画運営、起業コンサル、セミナー講師をしています。
コトリスでは、笑顔になって生き生きと輝く女性を応援していきます。

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